博物館の写真撮影 その4 悪質な二次利用
ひさしぶりに、博物館での写真撮影について、一利用者として思うところをちょっと書いてみたいと思います。今回は、第4回めです。前回同様に、私自身のポジションを明確にしておきたいと思います。
- 写真はできたら撮影したい
- 撮影した写真は、SNSやブログなどで自由に使えたら嬉しい
- 施設ごとに方針を明示して欲しい
こんな感じです。私自身は、写真撮影は許可されるべきだとも思っていません。中の人には、天上人との関係やらなにやらでいろいろとややこしい事情がありそうなので、お疲れさまです!という思いがあるだけです。うちのような弱小サイトですら天上人に叱られたことがありますので。。。天上人が、誰かについては、お察しください。
というわけで、私は外の人なので、徹底して一利用者の視点で書いてみたいと思います。これまで3回の記事は、以下のとおりです。
今回は、悪質な二次利用についてです。写真撮影の対象は、考古遺物に限定します。
悪質な二次利用ってなんだ?
悪質な二次利用を厳密に定義するのは困難ですし、そもそもこれを理由に写真撮影を規制しようとする施設管理者側に確固たる基準があるかどうかも不明です。ただおそらくは、その二次利用によって誤った情報が拡散されるとか、不愉快に感じる人が出てくるといったことを想定しているのではないかと推測します。
誤った情報って?
誤った情報という点では、そもそも何が正しい情報なのか?という点から疑問です。例えば、
遮光器土偶は、宇宙人である
という主張がある(?)わけですが、これを完全に否定することは、原理的にできません。縄文人が、宇宙人をモチーフにしていないということを証明することができないからです。
妊婦説も植物説も宇宙人説も、どれも単純に確からしさの度合いが違うだけで、どれも仮説でしか無く、絶対的な正しさなんてどこにも無いはずなのです。誤った情報を発信するなというのは、これは明らかに無理筋です。
不愉快に感じる二次利用って?
これも非常に曖昧です。ただ文章にしろ絵にしろ、なんらかのハンドクラフトにせよ、だれも不愉快にさせない何かって存在するのでしょうか?たかだか140文字しかないTweetでも、意図せぬ炎上は、日常茶飯事です。だれもが納得する二次利用なんて、そもそも有り得はしないのです。
この二次利用の問題は、表現の自由との兼ね合いで非常にセンシティブです。ただし、あいちトリエンナーレの時もそうでしたが、創作者が表現の自由を盾にして批判や責任を回避するような態度は、許容されるべきではないと考えます。表現の自由を主張するのであれば、批判する相手の表現の自由も含めて尊重すべきです。
とは言っても、やっぱり特定の個人や団体、集団、人種などを貶めたり、攻撃を意図した表現は、そういった誤解を招く恐れがあるものも含めて、やはり無しでしょう。それは憲法だとか権利だとか以前に、人としてのあり方の問題だと私は思います。
規制すべきなのか?
これについては、少々厄介な問題だと思います。ただですね、悪質な利用者がいるから善良な利用者まで規制するってのは、どうなんでしょうか?例えば、迷惑系Youtuberがいるから全てのYoutube配信を禁止にすべきだという理屈は通るのでしょうか?例えば、車や自転車はどうでしょう?
悪質だったり悪意がある利用者を想定し、それを理由にして規制をするというのは、あおり運転ドライバーが存在するから、自家用車を禁止にしようという主張と何ら変わりはありません。悪質な二次利用があるから禁止というのは、かなり無理筋な主張であると言わざるを得ません。
まとめ
そんなわけで今回は、悪質な二次利用についてダラダラと書いてみました。正直、私自身もらくがきシリーズで駄文を書いたり、有孔鍔付土器に入りたいとTweetしたり、まあ人によっては、けしからんと思う人もいるとは思うのですよね。誰かの発信を、どう思うかは、ひとそれぞれ。
というわけで二次利用の内容で規制するのは、どこまでいっても筋違い。私の中での結論は、そんな感じです。