ドラ猫土偶
今回紹介するのは、市立岡谷美術考古館に展示されている土偶です。板状土偶のようで、顔だけが残っています。破損が激しくて、元の顔がよく分かりませんが鼻と一体化したかもめ眉毛や目の下の二本線といった中部高地の特徴は、やはりこの土偶にも見られます。
そしてよく見ると眉の間と目の横にも二本線が見えます。二本線は、いれずみと解釈されているようです。そうすると、この土偶は、顔中が入れ墨だらけなのかもしれませんね。
時代
縄文時代中期中葉
発掘遺跡
目切遺跡
詳細位置は不明でした。
展示されている博物館
市立岡谷美術考古館に展示されています。
コメント
今回紹介した土偶は、市立岡谷美術考古館に展示されています。この土偶は、なんだか悪そうなドラ猫みたいに見えませんか?お魚かっさらって逃げるドラ猫みたい?
猫っぽい見た目の土偶や土製品は、いくつも見つかっています。ですがいわゆる家猫については、まだ縄文時代にはいなかったと考えられているようです。猫が日本に定着したのは、稲作が始まって、米を狙うネズミに対処する必要が出てきてからなんだそうです。
ただ猫が日本にいなかったというわけではなく、山猫は縄文時代にもいたそうです。そして、すでに日本の本州では絶滅してしまったそうで、生きている姿を見ることはできません。