昭和のおかんVS縄文のおかん
ネタ切れ間近?そろそろ週イチくらいにしたい、らくがきシリーズです。今回は、昭和のおかんVS縄文のおかんというテーマです。ぶっちゃけ、昭和のおかんも縄文のおかんも、基本は一緒じゃないかなと思うんですよね。
遡ること、だいたい25年前、もうそんなにも経ったということが、大変恐ろしいのですが、社会人となった私は、大阪の実家に里帰りをしました。そして財布から1万円を取り出し、おかん。。。じゃなかった母に
「なんでも好きなものを買っておいでよ」
と言いながら渡したのです。もちろん母は、喜んでくれて、ちゃりんこ。。。じゃなかった自転車で近所の千林商店街まで買い物に行ったわけです。で、買ってきたのが、まさかの炊飯器!
若かった私は、なんでそんなつまらないものを買ったのかと、非常にがっかりしたことを覚えています。洋服だとかそういった自分のためのものを買ってくることを期待していたからです。
それからしばらくして、私も結婚しました。そして奥さんが、嬉々としてル・クルーゼがどうとかSTAUBの鍋がどうとか話したり、飽きもせず雑貨屋のキッチン用品のコーナーをぐるぐる歩き回ったりするのを目の当たりにし、どうやら女性は調理器具に対して特別の感情を持っているのではないかと気づいたわけです。
またテレビや雑誌などでは、「愛情料理」というような表現が使われ、また私の奥さんも「愛情を込めてつくる」というような表現をします。48歳おっさんの私は、しょっちゅう晩ごはんの支度をしますが、決して愛情を込めて作ろうなどと思ったことはありませんし、おっさんが愛情込めて作った料理なんて、ちょっと不気味じゃないかと思ったりするわけです。
調理器具に対する思い入れだったり、それから愛情を込めると行った感覚は、遠い昔に調理という行為が儀礼祭祀として執り行われてきた時代から続く特別な感情なのではないか?という気がしたりするわけです。
もちろん女性と言っても、人それぞれ。多様化した現代では、全く違った感覚を持つ人達もたくさんいるはずです。ですが、やはり古代から現代まで続く人の思いのようなもの有るのではないか?有って欲しい!そのように思うのです。