尖石遺跡の土偶たち
この4点は、いずれも尖石遺跡からの出土品です。尖石遺跡は、桑畑として開墾する際に出た出土品の多くが、祟を恐れた住人たちによって廃棄されてしまったそうです。大変残念なことですが、これも歴史のひとつなので、しょうがないですね。
1番の土偶は、中部高地ではよく見られるタイプで、どうにかして立たせようとした結果、足が不自然な形に巨大化しています。よく見るとつま先に穴が開いていますが、これは模様なのでしょうか?それとも制作上必要となった空気穴か何かの痕跡でしょうか?
お赤の真ん中の線は粘土紐で作られ、下側が釣り針のように丸まっていますので、おへそを表現しているのでしょう。
2は土偶の腰の部分、4は胴体です。3は、胸と両腕のみです。中部高地の北側の地域では、割と腕や手をあっさりと作っている例が多いように思います。
時代
縄文時代中期後半(約4500年前)
発掘遺跡
尖石遺跡(長野県茅野市)
尖石縄文考古館の南側で道路を挟んだ反対側の芝生の広場になっている場所が、尖石遺跡です。尖石の名前の由来になった先端の尖った大きな岩は、広場から少し下ったところに有り、石器時代に石器を研いだ痕跡が残されているそうです。
現代に作られた道路で隔たれていますが、実質的には与助尾根遺跡と同じ遺跡だとも考えられているようです。かなり広範囲に渡って集落が形成されていたことがわかります。
展示されている博物館
尖石縄文考古館に展示されています。
コメント
開発によって多くの遺物が失われているのが、残念です。おそらくは、廃棄されてしまったものの中にも素晴らしい土器や土偶が、含まれていたことでしょう。なんとか調査して残そうとする人たちの尽力があったからこそ、一部だとしてもたくさんの遺物が現在まで残されています。大変ありがたいことです。そしてその努力は、現在もたくさんの人たちに引き継がれています。